2024 9/26

【ビハーラCafe with 北秋田虹の会】

9月26日、標記の企画が行われました。
主にがん患者さんを対象としたサロンを毎月開催している北秋田虹の会(代表:吉田みどりさん)とのコラボ企画第4弾、ここ数年と同様に北欧の杜公園にて開催しました。
始めに北秋田市保健センターの今井保健師さんより「ミュージックケア」、リズムに合わせて手や指、足腰を使った軽い運動で体をほぐしたり、参加者一同が息を合わせて大きな風呂敷でボールを扱ったり…等々のプログラムを行いリラックス!
続いてギター伴奏に合わせて懐かしのメロディを口ずさんだり、終わって会場でドリップしたコーヒーをいただきながら様々な話題で盛り上がったりと、心身共にリフレッシュするひとときとなりました。
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484120379_631216352879686_5663351648472197775_n 「信仰・教育・看護・福祉… これまでの歩みから」
~秋田さきがけ『シリーズ 時代を語る』こぼれ話~
講師:丹波 望 先生

秋田さきがけ新報に連載された『シリーズ 時代を語る』では、クリスチャンとしての信仰に基づきながら、幼児や青少年の教育に長きにわたって多大な貢献をなさってこられた丹波先生のご生涯が綴られていましたが、そこで語りきれなかった信仰や教育についてのお話を伺いました。

先生は昭和9年生まれ、戦中戦後の動乱期に幼少期~青春期を送られました。
横手で造り酒屋を営んでいたお父様は「大正デモクラシーの申し子」といった価値観をお持ちだったようです。密造の疑いで一時期収監された折に宗教的な体験をされ、禅や老子などの教えを学んだ後にキリスト教の洗礼を受けて牧師の道へ進まれます。
実家の酒造店(後の阿櫻酒造)を離れて能代へ、その後先生がお生まれになりました。先生の信仰や生きる姿勢には、お父様から大きな影響を受けられたそうです。
多感な時期に戦争と平和についても大きな関心を持ちながら旧制能代中学(現在の能代高校)から国際基督教大学の1期生(当時は「ゼロ期生」とも)として入学、神学について学ばれます。大学では仏教についての講義もあり、広く宗教全般にわたっても研鑽を積まれました。
私達は二つの大きな不条理を抱えながら生きています。
一つ目は「なぜいつか必ず死がやって来るのに生まれたのか」、死に向かって生きる私達にとって“生きる意味”とは何かを問うことが重要となります。
もう一つは「人は自分の姿をこの目で見ることは出来ない」、京都大学霊長類研究所などで、ゴリラやチンパンジーに大型の鏡を見せて自己と認識できるかといった研究が為されていますが、私達も鏡や映像で目にすることはできても、直接この目で自身の姿を見ることは不可能です。そのことは究極的に「自己とは何か」を知ることは容易ではないことを示しています。
どんなに文明や科学が進歩しても解決を見出せない不条理に向き合うためにも、宗教や信仰の大切さが問われているのだと先生は仰います。
そのような信念を基礎とされながら、能代教会の牧師として、「地の塩塾」での運営や「能代文化学院」学院長として、「秋田しらかみ看護学院」開学に尽力され学院長として、一人ひとりの生徒や地域の方々と接してこられました。
先生はクリスチャンですが、仏教に対しても尊重する気持ちや親しみを感じていらっしゃるとのこと、「多宗教時代」における他宗教・他宗派への対し方として、「『うちの母ちゃんは世界一』といった時は、他の母親と比較したり優劣を競ったりして言うわけではありませんよね。私の信仰が一番正しいという絶対主義に陥らず、かといって宗教なんてどれも同じという虚無主義にも陥らず、自己の信仰に誇りや自覚を持ちつつも、他の宗教にも敬意や尊重する念を持つというのが私の立場です」という思いから、当会の会員にもなっていただき、折々でご支援いただいていることはたいへんありがたく存じます。
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先生は3年前に奥様を亡くされました(享年90歳)。
亡くなる一週間前、東京でのキャリアや人間関係を後にして能代まで嫁いで、私の両親を見送り、地の塩塾の運営やしらかみ看護学院の設立を支えてくれ、45年の夫婦生活に先生は感謝の意を述べられました。
奥様は病床で「昨日までできていたことが今日はできなくなる。これまでの能力や経験は自分で得たものと思っていたが、それは天から一時預かったものであったと気づかされた。若い時に得たものは、晩年になったら少しずつお返しするもの、そして最後には命を天にお返しする。私は死というものをそのように思っています」とお話しになられ、お互いに「ありがとう」と言い合われ、最後の会話となって旅立たれました。
看護を志す人、いま現在看護の職に就かれている人に伝えたいとのことでした。

最後に、いま行っていること、これからやりたいこととして、
1,人の話をひたすら聴くこと
2,信仰の区別なく“祈りの場”を作りたい
3,「大学紛争・闘争」の歴史の見直し
戦後の日本は奇跡的な復興を遂げましたが、朝鮮戦争やベトナム戦争による特需、アメリカの軍事拠点としての恩恵にあずかりながらの繁栄に異議を感じた若者達が声を上げました。先生の母校である国際基督教大学でも、決して暴力的・犯罪的な行為をせずとも「学籍処分」、入学したことすら記録を抹消されるという「退学処分」より重い扱いを受けた学生もいたそうです。
そんな彼らの名誉回復を遂げたい、「神の赦し」を説くキリスト教の教えを母体とした大学ならば、50年以上前のいわれのない汚名を晴らすべきとお考えとのこと、それが今の自分の“ミッション”だと仰いました。

御年90歳ながら、非常にエネルギッシュな2時間以上にわたってのお話に、参加者一同引き込まれるように聴き入っておりました。
宗教をベースとした社会活動を標榜する私達の会ではありますが、その足もとにも及ばない先生のこれまでの活動と信念には、あらためて敬服すると同時に活(喝)を入れられたような思いです。
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3月3日(日)、当会の令和6年度総会ならびにセミナーを行いました。

今回のセミナーは「能登半島地震支援活動報告会」と題して、1月・2月と二度にわたって能登半島地震で被災した地域にて「きりたんぽ鍋」の炊き出し活動と現地事情について、代表の新川から報告いたしました。

今回の能登半島地震は死者数や被害家屋の軒数だけを見ても、阪神淡路大震災、東日本大震災は別格としても平成以降では屈指の被害規模、しかも半島特有の地理的条件とアクセスの困難さ、冬の寒さと雪、度重なる余震、道路の損壊や土砂崩れによる通行止め、長引く断水など悪条件が重なる困窮度合いの高い災害で、マンパワー不足も著しく被災住民の苦悩は想像を絶します。
たしかに秋田から能登は遠く移動時間もかかり、現地入りにも躊躇しましたが昨年の秋田豪雨災害で県外から多くの団体に助けられたこと、そしてその団体の多くが今は能登の最前線で奮闘しており、恩返し・恩送りの意味でも微力ながら彼らの下支えに…との思いから、「きりたんぽ鍋」炊き出しを二度敢行しました。

比内地鶏や白神ねぎ、藤里町産のマイタケ・セリ、白神山水など、こだわりの秋田産食材を揃え1月24日に秋田を出発、「最強寒波」襲来の中、時折雪と強風に見舞われ富山県高岡市に到着、宿泊。
翌朝は氷見市(同市も今回の地震で建物被害が甚大ながら多くの商店が通常営業)にて給油と最終の買い出しを経て石川県へ。七尾市街から徐々に、地震の爪痕が感じられる倒壊した建物が視界に飛び込んできます。
道路の亀裂や崩壊は応急処置済みとはいえ、段差を避け慎重に運転、輪島市門前町に到着。
17年前の能登半島地震から復興した、同地の象徴である「総持寺祖院」は前回の地震より更に大きな被害で、見るも無惨な姿に…。関係者の無念さは如何ばかりでしょうか。
事前からシャンティ国際ボランティア会(昨年は秋田で長期活動)と連携・調整、約80名が滞在中の近くの避難所へ。更に40食を近所の特養スタッフの夕食にお届け。

大人数向けの炊き出しとして、きりたんぽは決してコスパのいいメニューとは言えませんが、一つの器で主食とおかず、汁物を兼ねられ、断水中のため洗い物やゴミを極力出さない点、また地方色を出し、メニューにバリエーションをつけられる(各種団体も工夫を凝らしているものの、類似しがちとのこと)点、昨年の秋田豪雨災害では、県外から多くの団体に秋田県も大いに助けてもらったことから、秋田からの恩返し・恩送りの印に…という思いからのメニュー選定です。
味が濃い、大盛りで渡されても高齢者は食べきれず、残すのも申し訳ないとの声もあり、秋田県民としては少々物足りない?薄めの味付けながら「おいしかった」「地鶏のダシがイイね!」「きりたんぽは初めて食べた。今度秋田にも行きたい」との感想も寄せられ、汁もほとんどの方が残さず召し上がっていただきました。

二度目の実施は2月20日、同じく門前町へ、中学校の避難所では200食、翌日は能登町のOPEN JAPANのベースをお借りして下ごしらえ、3ヶ所で150食のきりたんぽとカップ入りいぶりがっこ、平鹿のりんごを提供、概ね好評をいただきました。

今回、合計350食分のきりたんぽと比内地鶏を無償提供いただいた伊徳様はじめ、多くの食材を無償または格安にてご提供の皆様に、あらためて深く感謝申し上げます。

後半では、シャンティ国際ボランティア会が門前町の孤立集落向けに行っている「入浴・買い物支援タクシー」の様子を記録した動画をご覧いただき、厳しい現地事情に理解を深めていただきました。
映像では「38日ぶりにお風呂入った!」と喜びの声を上げる男性も…
https://www.youtube.com/watch?v=UY3UVMhTkvk

また長期にわたり現地滞在して活動中のシャンティ国際ボランティア会・茅野俊幸副会長より、長引く断水に伴う苦労や孤立集落の問題、また今月には金沢市や加賀市などに二次避難中の被災者が地元に戻ってくることへの苦慮、門前町の名物でもある「雪割草」にちなんだ復興イベントを計画中であることなど、貴重な情報をオンラインでお話しいただきました。
冬の日本海側で起きた大規模災害、秋田県の人間としても人ごととは思えません。引き続き状況を注視し、可能な限りの支援を続けてまいりたいと存じます。

報告会に引き続き、当会の令和6年度総会が行われ、昨年開催の「結成31周年記念公開講座」などの事業報告と決算報告、今年度の事業計画と予算案が協議され、ご承認をいただきました。

本年も当会の活動にご参加ご協力を、何卒よろしくお願い申し上げます。

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