2021 7/7

コロナ禍の中、久々の開催となった「ビハーラcafe」、北秋田市のふみきり野cafeさんにて行われました。
能代市二ツ井・梅林寺ご住職の木村高寛師(曹洞宗特派布教師)より「コロナ禍を越えて」と題してのお話を伺いました。
介護や終末期医療の現場で垣間見えるやり取りから、家族や関係者の“寄り添う”姿勢がいかにあるべきか、ご自身の体験と共にユーモアを交えつつお話しくださいました。

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昨今は新型コロナの影響で、病院や施設でもお見舞い、面会ができにくい状況が続いています。それでも「生老病死」の苦悩の真っ只中にある人とよき関係を保っていけるか、そして「自分自身が人生の最期にどんな言葉を残しますか?」との問いかけには、参加された皆さんも大いに考えさせられたことでしょう。

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後半はお茶やコーヒー、目にも鮮やかなデザートをいただきゆったりとしたひと時を過ごしました。
※梅林寺さんはワクチン接種完了、更に距離を取ってお話されたため、画像ではマスクを外しております。
カフェ特製のシフォンケーキなど飲食を伴う場面では、いわゆる“黙食”で各々静かめに絶賛しながらいただきました。

2019 11/1

今回のビハーラセミナーは「“親なき後”とは何か ~障がい福祉のテーマを越えて考える~」と題して、講師に社会福祉法人秋田虹の会理事長兼施設長・桜田星宏氏をお招きして行われました。

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福祉施設やサービスが今ほど整備されておらず、差別や偏見も厳しかった時代、障がい児・者福祉の世界では古くから「この子を置いて先に死ねない」といった声が度々親御さんから聞かれたそうです。
「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」の詩でも知られる重度の脳性麻痺だった山田康文くんのエピソードを紹介され、当時の障がい児とそのご家族の苦悩は計り知れないものであったことを思いました。

そんな障がい者福祉の歴史を紐解きながら、法律や国の制度としては一進一退を繰り返しつつ現在に至ります。
民法877条では「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」と定められています。「親は子を、子は親を扶養しなければならない」というのは古来からの美徳のように思われますが、福祉サービスを利用したいのに定員が一杯だったり、金銭的な事情があったりなどの理由で利用できない時に、この民法877条が重くのしかかってくる場合があるとの指摘には驚きでした。

また近年言われる「8050問題」、高齢化した親世代の年金や蓄えが頼りで自立できていない中高年層が増加、もはや“親なき後”の問題は障がい者福祉の分野を超えて、社会全体で考えていかねばならない課題となっていることを強く感じるセミナーとなりました。

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セミナー(R1.10.28)

「親なき後」とは何か  〜障がい福祉のテーマを超えて考える〜

講師:桜田 星宏 氏
(社会福祉法人 秋田虹の会理事長・虹のいえ施設長)

日時:令和元年10月28日(月)午後6時〜8時
会場:やすらぎホール とわに~
能代市二ツ井町下野家後113-4  ℡ 0185-73-2737
JR二ツ井駅から徒歩5分
※参加無料

近年、障がい者支援の現場でキーワードとなっている「親なき後」、すなわち高齢となった親からの援助が見込めなくなった以降の不安について、障がいのある方々だけの問題にとどまらず、「8050問題」に象徴されるように非就労、独居や未婚、いわゆる“ひきこもり”の方なども含め、様々な立場で幅広い議論が必要と思われます。
なかなか答えの見出せない問題ですが、皆さんと一緒に考えてみませんか。

2019 6/30

この度のビハーラセミナーが「多田等観を知っていますか ~明治期にチベットへ渡った秋田の僧侶~」と題し、講師に秋田県立博物館主任学芸主事の池端広樹さんをお招きして行われました。

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多田等観(ただ・とうかん)は、1890年(明治23年)7月1日に秋田市土崎の西船寺で生まれ、明治末から大正にかけてチベットに入り修行し、日本への帰国に際して多数の仏典、文献を持ち帰り仏教学者として活躍した僧侶です。

教師を目指していた等観は、ひょんなことから京都に渡って西本願寺の大谷光瑞法主から当時留学していたチベット僧の世話係を命じられ、彼らの帰国の際に等観本人が拒んだにもかかわらず、同行してチベットへ向かうことに。

日本と国交のないチベットへ渡航するのは非常に困難を極めましたが、ラサへ到着しダライ・ラマ13世に謁見、7千人もの修行僧を抱える僧院にて修行の後に現地でも認められゲシェー(博士)の学位を得て、およそ10年の修行の後にダライ・ラマ13世の慰留もありつつ帰国、貴重な経典・文献を我が国にもたらした功績は特筆すべきものです。

帰国後、チベット再訪の機会をうかがったこともあったそうですが、第二次世界大戦の戦況も厳しくなり、戦後は中国のチベット侵攻により結局叶わぬことに…。
再度チベットの地を踏むことなく、当地の民衆や歴史、文化が脅かされる状況を等観はどんな思いで憂いていたことでしょう。

数奇に富んだその生涯は、多くのエピソードと相まって非常に興味深く、マニアックなテーマながらご参加された皆さんも熱心に聴き入っておりました。

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