2012 3/30

3月28日、能代市公民館にて「能代市こころの傾聴ボランティア連絡会」主催(当会後援)の「被災地のこの一年と今」と題して、大槌町よりお越しのノリシゲさん・RIAさんのお話と歌をお聴きする会が開かれました。

東京で音楽活動をされていたノリシゲさんは昨年の震災で実家が全壊し、生まれ故郷の大槌町で「吉里吉里元気プロジェクト」を立ち上げ、奥様のRIAさんと共に音楽を通じて現地の方々と支援活動に尽力されています。昨年10月には北秋田市・正法院様でもライブを行ってくれましたが、曲の合間に話された多くのエピソードをあらためてじっくり伺いたいとの主旨から、今回の企画となりました。

p1060797

震災発生の翌日、周囲の制止も振り切りガソリン不足の折に東京から大槌町へ向かうも道路の寸断などの困難を経て、震災3日目の生まれ故郷に到着、空爆されたかのような外国の戦場にも似た光景は、今なお忘れられないとのこと。ご両親と対面し無事を確認、盛岡などの友人から救援物資を調達してもらい山道を数時間かけて往復、自衛隊より早くに地元で配給を開始。断水は近くの沢水を汲んでしのぎ(行政による給水車は震災十日後が最初)、一日でおにぎり一個という日が数日続く。
当時から「お前は家が無事だっただろ」、かろうじて家が無事だった人と避難所の間に壁ができ、今なおその対立が尾を引いており在宅避難者の苦悩は見過ごされたままだという。

初期の混乱をどうにか乗り越え、いったん東京へ。4月頃の東京では、自粛ムードに覆われうつ状態の知人が大勢。「被災地の外が元気にならなきゃ、被災地に手を差し伸べられない」との思いから音楽活動を再開、ライブ会場で4月末に行われる合同葬儀に供える花のための募金活動、4,500本の花を調達。
続いて各地の避難所でライブ活動、また津波で流されたり、潮をかぶった住宅では電気ドリルなどがすぐに使用不可となることなどから不足していた大工道具を募集、8月には「お祭りが見たい」との声を受けて「鎮魂みたままつり」を吉祥寺境内で開催、「この時期に祭りなんて…」と賛否両論あるも、虎舞などの伝統芸能を住民は涙ながらに見入っていたという。30年ぶりに復活した盆踊りも大いに盛上がり、住民も「こんなに笑ったのは久しぶり」。東京から飲食店やバーテンダーのグループも訪れ屋台も開設、当時の恩返しにこの春は東京での「桜フェスティバル」にて虎舞を披露する企画も。

今の大槌町は雇用や住宅の問題から若者の流出が激増、復興計画に若者の意見が取り入れられないことを問題視、仮設住宅は原則2年が期限、しかし盛り土しての都市計画には最低でも5~6年かかることの矛盾など、「まちづくり」には課題が山積。せめて、しがらみなく自由に意見や夢を語れる場所が必要との思いから、廃材を集めてカフェバーをオープン。毎週木曜日には「未来会議」と称して若者が“たむろ”する場に。自分も経験のない業種に挑戦、何もないところから新たなチャレンジへのイメージを、若者や子ども達に持ってもらえればとの思いも。
日本、また田舎では一度失敗すると立ち直れない雰囲気、何度でもチャレンジできる仕組みやイメージができたらと思う。

岩手は内陸に大都市が集中、沿岸部は元来から過疎化、人の往来が少ない土地柄、それがこの震災で多くの人々が支援に訪れてくれて、人やモノの交流が進むことで新たな文化が生まれることを期待、もっと多くの人に少しずつ復興している大槌の町を見て、実感してもらいたい。
いま、街には“色”がない。花や建物、もっと色合いを感じてもらえるようになってほしい。

また、自分の身の回りのことで手一杯の人が多い中で、「学びの場」が必要。防災、原発やエネルギー問題、過疎化対策など、長い目線で重要な問題を学び、考える機会がもっとあってもいいのでは。子どもの親としても原発の問題は深刻、いつか子どもに重大な悪影響を及ぼす事態に至った時、「何も考えてなかった」とは言いたくない。「ママはできるだけのことをしたんだよ」って言えるようでありたいと願っている。

p1060804

…といった、たいへん示唆に富んだお話をいただき、参加された皆さんも熱心に聞き入っておりました。
会の最後には、震災直後にガレキの中から見つけた弦が切れたギターで作ったという『歩きましょう』を熱唱、しっとりと、それでいて力強い歌詞とメロディに目頭を押さえる参加者も多く見られ、大きな拍手で閉会となりました。