特別寄稿


「ホトケと仏のあいだ 〜宗教人類学者・佐々木宏幹教授(駒沢大学)の視点から〜」

                                    鷹巣町七日市 佐藤俊晃
 

 先頃、山中で亡くなった人のために供養に出かけた。発見された場所まで遺族の方達と一緒の山行である。車を降りて約三十分。遺体がここで見つかったという場所へ、ロウソク、線香、花とささやかな供物をそなえ読経。読経終わりの挨拶を告げると、故人の息子さんが持参してきたタナ(子供を背負うおぶいひも)を取りだし、自分の背中につけ始める。「ほら、父さん家さ帰るど」。遺族達が口々に声をかける。「寒かったべ、よくがんばったな」、「みんなで迎えに来たよ」。帰途、「樹、あるから頭下げれ」、「ここの川越えるよ」。まるで息子さんの背中に見えない故人がおぶわれているように語りかける。車に乗せ、自宅に帰り着くとようやくタナを降ろす。「やっと家さ帰って来た。よかったな父さん」、感きわまって故人の奥さんが泣きだす。そこでもう一度、読経。

 いつ頃からこうしているのかわからないが、うちの檀信徒地域では以前より山中で死者が出た場合、このようにして死者を自宅まで連れ帰る作法を行っている。

 十数年前の冬、奥能登の柳田村へアエノコトという農耕神事を民俗調査に行った。農家の家長がもてなし役となって、田の神を家へ迎え、饗応する一連の儀式である。夕方、裃(かみしも)を着け正装した家長は玄関にて見えない田の神を出迎える。歓待の挨拶を述べ、座敷の炉端へ通し、ごちそうを振るまい、風呂へ案内する。「田の神様、もう一献いかがですか」、「田の神様、お湯加減はいかがですか」。見えないはずの田の神様が家長の熱心な接待ぶりによって、私までそこに何かいますかのような錯覚を覚えた。

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 見えない死者、あるいは見えない神を、ホトケあるいは精霊などと呼んで、実在するものと似たような観念を抱くことはしばしばある。それを前近代的であるとか後進的であるとさげすむ立場に私は賛成しない。     
 ここに挙げた例はやや特別なこととの印象があるかもしれない。だが、たとえば最先端のハイテク治療技術をもった医療チームが困難な手術の前にその無事を祈り、最愛の人を失った者が故人の遺影や愛用品に感情移入する。また、祭りの日に市中をゆく神輿の上には神霊が乗せられているのであり、私達が「おかげさまで」という挨拶を口にするときはそこに見えざる恩恵を想定しているのである。見えない人を感じ、見えないものの力を感じることは、現代の人間社会においても、ごくふつうの光景である。

 そんな見えないものまでを人間が営む「文化」活動と捉え、研究の対象としてゆく学問に文化人類学がある。とりわけ、ここに示したホトケや神や霊に関わる分野を専門としているのを宗教人類学という。ただしそれは神秘的な話にかぎらない、私達が日常的に行なう「願い」や「祈り」など、心の面にふれるきわめて幅の広い人間の行為を対象としている。

 今日の日本における宗教人類学の第一人者、佐々木宏幹教授(駒沢大学)は近年、「ホトケと仏」という視点が日本人の宗教観を考えるときに重要になってくると提唱している。

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 「ホトケと仏」とはなにか。

佐々木教授は『広辞苑』の「ほとけ〈仏〉」の項をまず引き合いに出す。
 1、目覚めた者。さとりを得た者。仏陀。ぶつ。釈迦牟尼仏。
 2、仏像。仏の名号。
 3、仏法。
 4、死者またはその霊。
 5、仏に仕えること。仏事を営むこと。
 6、正直で純粋・無邪気な人。仏のように慈悲の厚い人。転じてお人よし。

 ここに見る通り「ほとけ」という言葉に私達は多くの意味を背負わせている。この用語は、それが使われる時、場所、人に応じてかなり多義的であると言える。

 そしてそれがある場合には、一人の「ほとけ」をめぐってかなりのズレを生じている場合がある。そのよい例が葬儀の場合である。故人を仏教儀礼によって弔った場合、司祭者である僧侶も、遺族・会葬者達もひとしく死者を「ほとけ」と呼ぶ。しかし僧侶の方は「位大覚に同じうしおわる(仏に帰依を誓ったものは仏と同じ位にのぼることを得る)」という曹洞宗の念誦文(ねんじゅもん)に明らかなように、「ほとけ」は仏弟子であって、すなわち1の用例に準じている。一方の遺族・会葬者は「仏式の葬儀を経た死者」という気持ちであることが大方であり、その意味では4の用例にあたる。

 こうした点を佐々木教授は次のように指摘する。
 「したがって“ホトケ”は仏教側からの意味づけとしての“仏(解脱者)”の性格と、伝統的な信仰に基づく“タマ”(注、タマシイ)の性質とを具えた存在であるということになる。そして仏とホトケとタマを包含した包括的な概念が“ほとけ”にほかならない。とすると“ほとけ”の意味が人により場合によってたえずズレを生じるのもむしろ自然であると考えられる。
 “ほとけ”の意味は、僧侶が用いる場合には“仏”の側に引き寄せられようし、檀信徒が用いるときには“ホトケ”または“タマ”により接近することになろう。われわれが“ほとけ”を問題にする際には、そのダイナミックな性格と役割にたえず注目することが肝要である。」

 死者と仏教上の理想的人格である仏とをおなじ“ほとけ”と呼ぶのは、世界の中で日本だけの特殊な例なのだそうである。

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 いわば、“ホトケ”は民俗信仰的な観念によって支えられ、“仏”は仏教教義によって性格づけられていると言えるだろう。そして残念ながら現代の葬儀において多くの場合は、そのズレをそのままに放置しておくか、あるいは教義教説によって“ホトケ”を“仏”として強引に意味づけようとしているように思われる。僧侶の行なう葬儀がしばしば社会から批判をあびる理由には金銭的なことがあげられることが多いが、この点もまた要点の一つであるだろう。

 しかし、こうした佐々木教授の視点に立つことによって私達は“ホトケ信仰”から“仏信仰”へという方向性を見いだすことができる。

 多くの仏教徒の家にはそれぞれ仏壇がある。曹洞宗の場合であれば、仏壇には本尊として釈迦をまつる。またその家の故人の戒名を刻んだ、あるいは「先祖代々」と複数の故人がまとめられた位牌もまつられる。そして共に家庭生活を営んだ親しい家族の遺影がある。そのすべてを一般には「ほとけさん」と呼んでいる。

 ここにもごく自然なようすで、仏とホトケが混在しているのである。

 曹洞宗の調査によれば、家に仏壇がある人の中で仏壇を(毎日あるいはときどき)拝むと回答した人は八〇・六%になったという。しかし、仏壇に向かって合掌する多くの人々は、困難な生涯の中で解脱への道を歩み続けた釈迦に手を合わせているのだろうか。あるいは、死別の悲しみからまだ起ち上がりきれず、その面影を慕うために遺影や位牌に手を合わせているのだろうか。

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 佐々木教授は次のように提唱する。
 「愛する人と死別して悲嘆のどん底にある人が、位牌を仏壇に祀ることにより、仏と成った故人と同じ空間に共存することのグリーフ・ワーク(注、悲しみの修復作業)的な意味は実に大である。ホトケと感応道交することで悲嘆の苦しみは癒され、生き続けてゆく力を与えられるからである。

 しかし、このように人々が“ホトケに出会う”ことは仏教信仰の出発点ではあっても終着点ではないと考える仏教関係者は少なくない。仏壇には本尊である“仏”の像が奉祀され、人々の信仰はホトケ(位牌)を介して仏(仏像)へと導かれなければならないからである。さらに本尊信仰が本尊信仰で止まるのであってはなるまい。それは実質的には神信仰と大差ないと言えるからである。本尊信仰が深まり高まって真の仏教信仰に至るためには“仏”が体現した無常・無我の思想が、人々の生死観の基軸にならなければなるまい。この“ホトケ”から“仏”への転回のための努力こそ、仏教者の究極の使命であると考えられている。」

 宗教に対する信頼性がいちじるしくゆらいでいる現在、宗教者も、宗教者以外の者もともに自分たちの心の奥底に伝えられてきた「信仰」について考え直すことが必要であろう。そのことは、多くの寺院仏教に関わる者と、それを信じようとする者、あるいはそれを批判しようとする者、みなともに私達のいのちについて思いめぐらし、心についてあらためて考えてみる機会が必要なのではないだろうか。佐々木教授の提言はそうした場を求めるものにとってきわめて有益なものになるだろう。

 県北地域の仏教者が声を発し、いまでは広く一般の人とともに活動しているビハーラでは、このたび「いのちとこころの講演会」として、講師に佐々木宏幹教授を招き、公開講座「日本人の死生観と癒(いや)し」を開催することになった。期日は七月十一日(火曜日)午後四時。鷹巣町の浄運寺本堂が会場である(電話〇一八六-六二-二四二一)。一般公開だからどなたでも聴講できる(聴講無料)。いのちとこころを考えるひとときとして、ぜひ、多くの方々に聴講をお勧めしたい。(講演会は終了しています。)



付記
 文中に引用した佐々木宏幹教授の文章は
 同教授著『仏と霊の人類学-仏教社会の深層構造-』(春秋社、1993年発行、2400円)
 所載のものです。


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