「信仰・教育・看護・福祉… これまでの歩みから」
~秋田さきがけ『シリーズ 時代を語る』こぼれ話~
講師:丹波 望 先生
秋田さきがけ新報に連載された『シリーズ 時代を語る』では、クリスチャンとしての信仰に基づきながら、幼児や青少年の教育に長きにわたって多大な貢献をなさってこられた丹波先生のご生涯が綴られていましたが、そこで語りきれなかった信仰や教育についてのお話を伺いました。
先生は昭和9年生まれ、戦中戦後の動乱期に幼少期~青春期を送られました。
横手で造り酒屋を営んでいたお父様は「大正デモクラシーの申し子」といった価値観をお持ちだったようです。密造の疑いで一時期収監された折に宗教的な体験をされ、禅や老子などの教えを学んだ後にキリスト教の洗礼を受けて牧師の道へ進まれます。
実家の酒造店(後の阿櫻酒造)を離れて能代へ、その後先生がお生まれになりました。先生の信仰や生きる姿勢には、お父様から大きな影響を受けられたそうです。
多感な時期に戦争と平和についても大きな関心を持ちながら旧制能代中学(現在の能代高校)から国際基督教大学の1期生(当時は「ゼロ期生」とも)として入学、神学について学ばれます。大学では仏教についての講義もあり、広く宗教全般にわたっても研鑽を積まれました。
私達は二つの大きな不条理を抱えながら生きています。
一つ目は「なぜいつか必ず死がやって来るのに生まれたのか」、死に向かって生きる私達にとって“生きる意味”とは何かを問うことが重要となります。
もう一つは「人は自分の姿をこの目で見ることは出来ない」、京都大学霊長類研究所などで、ゴリラやチンパンジーに大型の鏡を見せて自己と認識できるかといった研究が為されていますが、私達も鏡や映像で目にすることはできても、直接この目で自身の姿を見ることは不可能です。そのことは究極的に「自己とは何か」を知ることは容易ではないことを示しています。
どんなに文明や科学が進歩しても解決を見出せない不条理に向き合うためにも、宗教や信仰の大切さが問われているのだと先生は仰います。
そのような信念を基礎とされながら、能代教会の牧師として、「地の塩塾」での運営や「能代文化学院」学院長として、「秋田しらかみ看護学院」開学に尽力され学院長として、一人ひとりの生徒や地域の方々と接してこられました。
先生はクリスチャンですが、仏教に対しても尊重する気持ちや親しみを感じていらっしゃるとのこと、「多宗教時代」における他宗教・他宗派への対し方として、「『うちの母ちゃんは世界一』といった時は、他の母親と比較したり優劣を競ったりして言うわけではありませんよね。私の信仰が一番正しいという絶対主義に陥らず、かといって宗教なんてどれも同じという虚無主義にも陥らず、自己の信仰に誇りや自覚を持ちつつも、他の宗教にも敬意や尊重する念を持つというのが私の立場です」という思いから、当会の会員にもなっていただき、折々でご支援いただいていることはたいへんありがたく存じます。
先生は3年前に奥様を亡くされました(享年90歳)。
亡くなる一週間前、東京でのキャリアや人間関係を後にして能代まで嫁いで、私の両親を見送り、地の塩塾の運営やしらかみ看護学院の設立を支えてくれ、45年の夫婦生活に先生は感謝の意を述べられました。
奥様は病床で「昨日までできていたことが今日はできなくなる。これまでの能力や経験は自分で得たものと思っていたが、それは天から一時預かったものであったと気づかされた。若い時に得たものは、晩年になったら少しずつお返しするもの、そして最後には命を天にお返しする。私は死というものをそのように思っています」とお話しになられ、お互いに「ありがとう」と言い合われ、最後の会話となって旅立たれました。
看護を志す人、いま現在看護の職に就かれている人に伝えたいとのことでした。
最後に、いま行っていること、これからやりたいこととして、
1,人の話をひたすら聴くこと
2,信仰の区別なく“祈りの場”を作りたい
3,「大学紛争・闘争」の歴史の見直し
戦後の日本は奇跡的な復興を遂げましたが、朝鮮戦争やベトナム戦争による特需、アメリカの軍事拠点としての恩恵にあずかりながらの繁栄に異議を感じた若者達が声を上げました。先生の母校である国際基督教大学でも、決して暴力的・犯罪的な行為をせずとも「学籍処分」、入学したことすら記録を抹消されるという「退学処分」より重い扱いを受けた学生もいたそうです。
そんな彼らの名誉回復を遂げたい、「神の赦し」を説くキリスト教の教えを母体とした大学ならば、50年以上前のいわれのない汚名を晴らすべきとお考えとのこと、それが今の自分の“ミッション”だと仰いました。
御年90歳ながら、非常にエネルギッシュな2時間以上にわたってのお話に、参加者一同引き込まれるように聴き入っておりました。
宗教をベースとした社会活動を標榜する私達の会ではありますが、その足もとにも及ばない先生のこれまでの活動と信念には、あらためて敬服すると同時に活(喝)を入れられたような思いです。